ビンビールズの歩み2003〜2008 最終話 迷信と科学

(注)この記事は2008年に公開したもののリバイバルです。



ビンビールズはとにかく、行けるところまで行く。サラリーマンだろうがいい歳だろうがそんなこと関係ねえ。そう決めて今まで以上にライブ活動に本腰を入れ始めたビンビールズ。メンバーの意識が同じ方向に向かった。

そして、ビンビールズは次回作のレコーディングに入った。今回は今まで自分たちですべてレコーディングしていた手法を初めて変更し、レコーディングエンジニアとして"ザッキー"氏を迎え、録音からミックスダウンまでを依頼した。ザッキー氏とも2006年のオルガズムで初めて出会い、 お互い小岩の同じリハスタでリハをやっていることが判明し、その独特な不良大人な雰囲気に共鳴して以来の長い付き合いになる。ザッキー氏のレコーディングの特徴は、 まずレコーディング前にバンドの音や 雰囲気を理解するのに長い時間を費やすことにある。 だからライブのときも俺たちのサウンドメイキングに関して いろいろとアドバイスをもらいながら、ベッタリ付いて支援してくれた。おかげで、俺たちの望む音に限りなく近い作品が完成した。

レコーディングは順調に進んでいたが、一つだけ決まらなかったのがどのような形で音源をリリースするかについてだった。”けやき”のミーティングでは全国流通、つまりCDデビューしようという意気込みだったのだが、レコーディングの傍らで音源をいろんなレコード会社に送っても、レスポンスは得られなかった。しかしある日、これまたaudioleafを聞いたであろう ある小さなレコード会社からメッセージがあった。 小さな事務所だが、ビンビールズの活動スタイルを理解してくれたと思った。そして俺たちはそのレコード会社からアルバムを発表することにした。


収録曲

1. 黄色い太陽
2. ハチミツハニー
3. すきま
4. 迷信と科学
5. 白いドア
6. 此の世の裂け目
7. ほつれ
8. 東京

「東京」は前作からの再録だ。前作ではナマハゲがすべて弾いていた東京のギターをやっと、毛ガニが自分で弾かせてもらえることになった記念すべき瞬間でもあった。

タイトルを決めるにあたり、会議を開いた。
なかなか良い案が出てこなかった。そんなとき毛ガニがポツリ

『レコード』ってどうかな?CDなのに『レコード』

いいねそれ。ということで、その瞬間にタイトルが決定した。

そして完成した8曲入りフルアルバム。

毛ガニのギターも時には強烈な個性が出てきたと思う。ときおり見せる、おおよそ一般的なギタリストが考えたとは思えない斬新なパターンは聴いている者を異次元に連れて行く。まんぷくのドラムはよりシャープさを増し、地の底から響いてくるような迫力がある。さとしこのベースは繊細さは残しながらもより荒々しさを増し、そのスタイルが確立された。

そんな風にしてビンビールズのインディーズ1stアルバムが完成して、念願の「レコ発ライブ」を新宿RUIDO K4でのオルガズムで出来る運びとなったのだ。

最後にアルバム収録の「迷信と科学」の歌詞について少しだけ解説を入れて、この記録を終わりにしたいと思う。

 
時には気を吐いて疾走間を搾り出して
 走ろうぜ夜明けまで 走ろうぜ夜明けまで
 時には気を抜いて厭世感に身を任して
 落ちようぜ飽きるまで 落ちようぜ飽きるまで


ここは、紆余曲折する21世紀の世の中すべての人に向けて唄ったものだ。

 
世の中には 迷信と科学が溢れていて
 だから 僕が信じるのは 君だけです 君だけです


ここは、愛する人に向けて唄ったものだ。

 時には音出してコンピューターは納屋において
 歌おうぜ飽きるまで 歌おうぜ飽きるまで


ここは、音楽を愛する人たちに向けて唄ったものだ。

そして

 君の説は科学じゃなくて フィジカルなフレーズをまるで壊している でも最高だ
 君の歌は綺麗じゃなくて リリカルなフレーズをまるで壊している でも最高だ


この部分は他でもない 

毛ガニに向けて歌ったものだ。

俺たちは今やっとスタートラインに立ったところである。
そして2008年9月13日
ビンビールズは4人並んで、レ・コード発売ライブのステージにあがって行った。

<おわり>







at 15:16, bimbeers, ビンビールズの歩み2003〜2008

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ビンビールズの歩み2003〜2008 第十五話 『改名』

(注)この記事は2008年に公開したもののリバイバルです。



オリジナルメンバー崩壊の危機を首の皮一枚で乗り越えたビンビールズ。そして新たなマキシ音源「マイビズヨアビズ」の収録もはじまった。

 ハローハロー君はまだ メインストリームに乗っているのかい?
 僕らは忙しい 僕らは忙しい 手遅れになるほど 僕らは忙しい

その頃も本当にメンバーは皆、仕事が忙しかった。自主録音ながらすでにレコーディング3作目、レコーディング技術もある程度は向上し、当時にしてはそれなりの自信を持って人様に聞かせられる音源ができたと思った。まんぷくによるジャケットデザインも冴えている。毛ガニのギターもこのへんでやっと「らしさ」ってのが芽生えてきたと思う。上手くなくてもいい、聴いただけで”毛ガニだ”とわかるようなギターをもっともっと突き詰めていって欲しいと注文した。そして、スローペースながらコンスタントにライブを重ねていった。

特に2007年10月27日のこの日は重要なイベントだった。

ORGASM Vol.114
〜オルガズム3周年記念イベント〜 at 初台DOORS
a silent spring / Buffalo'3 / CoolRunnings / ビンビールズ /
フウマ / BLUE SUGAR SPIRITS /VIGILANTE / CHAOS


俺はここではじめてライブをやっている最中に「楽しい」と言う気分を少しだけ感じることができた。それはたぶん聴いてるお客さんも楽しんでくれている空気がフロアから直接自分の体に伝わってきたからだ。ここまでずいぶん長い道のりだったなと思った。その後長い付き合いになる仲間ともここで出会った。

そして2007年の活動も一区切りついた頃、とある日のリハ後に今後の方針について語り合うべく、小岩の居酒屋「けやき」にて集合した。ビンビールズは全員揃って酒を飲むことはあまりないが、重要な事を話し合う時には朝までやっているこの居酒屋を利用していた。

打ち合わせ前に気合を入れるべく、さとしこは八海山を飲む。俺も八海山を飲む。ナマハゲ・さとしこの秋田出身コンビは、日本酒を飲むと必要以上にビッグマウスになるきらいがある。

さとしこ 「ビンビールズ、もっとぜんぜんいけますよ」
ナマハゲ 「いけるいける」
さとしこ 「なにしろ曲がぜんぜんイケてますから」
ナマハゲ 「そうだろうそうだろう」

二人もうベロベロ。

さとしこ 「やっぱり次の音源は絶対に流通にかけるべきです。 よーしやるぞーチキショー!!!」

普段のクールビューティーテクニシャンのさとしことはかけ離れたキャラに ドン引きのまんぷくと毛ガニ。だがそんな風になりながらも、 今後のビンビールズの歩みを大きく左右する決断がいくつかできた。

1.正式名称をカタカナの『ビンビールズ』とする。
2.次の音源は曲を多くの人に聴いてもらうために、全国流通にかける。
3.ビンビールズはとにかく、行けるところまで行く。

毛ガニが後日おもむろに、嬉々としてこう言い放った。

「カタカナの『ビンビールズ』、画数を調べたら運気サイコーですっ!!!」

バンド名の画数を調べてるヒマがあったらギターを練習して欲しいと思った。
でも、もしかしたらその運気とやらもまんざら迷信でもなかったかもしれない。

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at 23:41, bimbeers, ビンビールズの歩み2003〜2008

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ビンビールズの歩み2003〜2008 第十四話『決断』

(注)この記事は2008年に公開したもののリバイバルです。

毛ガニ クビ

毛ガニ クビ

毛ガニ クビ

俺とまんぷくの二人で導き出した結論は重くのしかかっていた。しかし、決断を下したその日はふたりとも頭に血がのぼっているだろうと言うことで、一応一晩寝かせて考えようとまんぷくから提案があった。一回決めた事はいつでもその場で実行するようにしてきた俺は少し迷ったが、急ぐこともあるまいと一旦気を落ち着かせ、まんぷくの提案を受け入れることにした。

次の日。

頭を冷やした二人はふたたび数時間に及ぶ電話会議をした。それでもやっぱり

毛ガニはクビ

の方向性は変わらなかった。まんぷくが 「あいつほんとにバカだなあ。。。こんなことでクビになるなんて」と10回以上同じ台詞を繰り返して俺に言う。俺も同じ気持ちだった。そして、その決断をさとしこにも伝えた。「この決断がどれだけの痛みを伴ってしかし前に進むためには 避けて通れないんだ」みたいな理由を懇々と説明したような気がする。ただ、このまま終りになってしまうのはあまりにも悲しいので、まず毛ガニにその意向を伝えて、返事を見てから最終決定することになった。決断したと自分では思っていたれど後で考えるとやっぱり迷っていたのだ。

毛ガニからの返信メール。たしかこんな内容だった。

「どのような処分も受けます。でもビンビールズを愛する気持ちは誰にも負けません。(中略)できることなら、ビンビールズを続けたいです。すべての判断は、お任せします」

このメールをもらってもなお俺の心は動かなかった、それどころか毛ガニの言葉には不満足だった。そんなのただの精神論だ。気持ちだけではどうしようもないことを、もうその歳だったらわかるはずだ、毛ガニ。

そしてすべての材料が揃った。俺は俺の考えをまんぷくとさとしこにも十二分に伝えたと思う。だから、後々までしこりを残さないために、俺の意見に二人がきちんと納得してくれるようだったら、そこで毛ガニに最終結論を言い渡すことに決めていた。だけど、もし3人の意見が一致しない場合、すなわちメンバーの誰かが毛ガニの継続をそれでもなお望むならば、その人物と毛ガニの意思を尊重し、今まで通り毛ガニとともに生きることにしようと決めた。

そうして俺は二人に短文のメールを送って、白か黒かの単純な決を要求した。
もちろん俺の最終意見は

毛ガニはクビ

だということを申し添えて。
正直これだけ話せば、二人は俺の意見に同意してくれるだろうという自信はあった。




二人から返信がなかなかこない。
それぞれに思い悩んでいるようだ。
そして数時間も待った頃、さとしこから以下の返事が届いた。




「反省してるし、今回だけは許してもいいんじゃないかと思います」




さとしこ、甘っ。
しかしそれが彼の結論であれば、どうしようもない。
それを受けて俺は、もう何があっても毛ガニと一緒にやることに決めた。

雨降って地は全然固まっていないような気もするのだが、ビンビールズはとりあえずはもと通りになって、この出来事で少しだけ4人の意識が歩み寄って、少しだけ一体感が高まったような気がする。そしてここから、ビンビールズのスピードがさらに加速していくことになった。



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at 19:01, bimbeers, ビンビールズの歩み2003〜2008

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ビンビールズの歩み2003〜2008 第十三話 危機

(注)この記事は2008年に公開したもののリバイバルです。



オルガズムにもコンスタントに出はじめてだんだんエンジンがかかってきた。しかし、いつも今一歩満足がいかない。 もちろん100%満足してしまったらバンドなんてそこで終わりなんだけれど、それにしてももうちょっといけるんじゃないか?と毎回思ってしまうのはなぜだかわからなかった。

ところでビンビールズのメンバーをとりまく環境は、家庭では家族あり、子持ちあり、年齢は三十代半ば、職業は全員サラリーマンで年齢的にもそれなりの責任あるポジションになってしまっている状況。この環境で月1回くらいのライブを続け、コンスタントに音源を製作し、かつ成長していくにはどうしたら良いのだろうか?と言う問題が常につきまとっていた。子持ち組は特に可能な限り家族に迷惑をかけずに活動し、かつ家族からの理解と協力もらう必要がある。バンドと家族、どっちが大事かと問われればそりゃ家族に決まってる。仕事の方だって、勤務時間が不規則なメンバーもいるから土日の日中のリハも調整するのに一苦労。結論として、金曜か土曜の深夜23時から3時間から4時間、可能な限り毎週リハに入ることにした。

このやり方はサラリーマンバンドの皆さんにはお勧めである。どんなに仕事で疲れていても、リハで音を出せば 脳内物質の分泌によって3〜4時間くらいは持つものだ。

そしてまんぷくはリハの日だけは仕事を早めに切り上げ、はるばる遠方から江戸川区までやってくる。毛ガニは現場から直行し、時に事務仕事のためにリハ後に事務所に戻っていく。さとしこは子供を寝かしつけてから、前と後にそれぞれチャイルドシートがついたモビルスーツみたいな自転車で駆けつける。そして次の日は朝から子供をプールに連れて行ったりする。まわりからは「体に気をつけて」といわれるが、まあ音楽をやっている限りは大丈夫だと思った。

しかしある日突然、ビンビールズ史上最大の大騒動がおこってしまった。

リハとライブをこれだけやってても、やっぱりなかなか毛ガニの音は安定していかなかった。個人でどれだけ練習しているのかもわからないが、ライブではまだまだミスを連発するし、リズム感も改善されないし、全然話にならない状態だった。そのころビンビールズはバンドにとっては特に大事なイベント出演を控えていて、その週末のリハはメンバー全員でとにかく毛ガニギターのテコ入れをしようってことで話がついていた。その意味で、その日はかなり重要なリハだったのだ。

リハ当日。

毛ガニが来ない。

1時間待っても来ない。
2時間待っても来ない。
3時間経過しても来ない。
メールや電話も一通もない。
電話しても出ない。

リハ時間終了後、そこにいた3人はやりきれない気持ちでいっぱいになっていた。なんのために今日俺たち3人はここに集まったのだろうか?そんなやるせなさの中、リハ終了20分後に突然毛ガニからメールが入った。

「すいません、どうしても行けませんでした。今から向かいます」

。。。今から向かいますってなめてんのか?どうしても来れないなら仕方ないが、なんでメールか電話の一本もできない?もう俺のハラワタは煮えくり返っていた。とりあえずなんとか冷静になって

「わかったから今日はもう来るな」

とだけメールを返した。そのときはとにかく顔も見たくなかった。そしてかなり頭に血がのぼったまんぷくと俺は(さとしこはあいかわらず冷静)、リハスタの待合室で深刻な相談に入った。

「これ、バンドなめてるって思っていいか?」
「来れないのは仕方ないとして何で一報もできないのか人間として全く理解できん」
「技術でも追いついて無いのにリハにも来れないんじゃ、もうバンド続けてく資格ないんじゃないか?」
「。。。。。もう、やめてもらおうか。。。?」

リハスタでそこまで話が進んでしまった。しかし、冷静なさとしこの意見もあり、とりあえず来れなかったことと連絡もできなかったことの理由を聞いてから判断しよう、ということになった。その後、俺は毛ガニの声を聞くと激高してしまう恐れを感じたのでメールでやりとりすることにし、毛ガニに理由をただすメッセージを送った。そしてしばらくして返信。

その理由については非常に個人的なことだったのでここでは書かないが、俺にしてみれば連絡もできないような理由にはとても思えなかった。 毛ガニとしても事の重大性は察したらしく、メールの結びに「どのような処分でも受けます」なんて書いてきやがった。それを見てさらに悲しい悲しい気分になった。その後さとしこと別れ、俺とまんぷくは二人で新小岩のロイヤルホストに場所を移して協議を続けた。2時間くらいは話したかもしれない。

そしてその日ふたりの間では、

毛ガニ クビ

ということで九割がた話がまとまった。

毛ガニが人一倍ビンビールズに愛情を持っているのはわかっていた。だから俺もほんとにこの結論を出したことにはやりきれない気分になって、まるで彼女に別れを切り出した時のような気分になって、泣きそうになった。

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at 10:06, bimbeers, ビンビールズの歩み2003〜2008

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ビンビールズの歩み2003〜2008 第十二話 オルガズム

(注)この記事は2008年に公開したもののリバイバルです。



アルバムの製作はしたものの、 ライブハウスでの土日ブッキングには相変わらず苦労するし、活動がなかなかスムーズにいかない日々はずっと続いていた。あるとき一通のメールが届く。「はじめまして、有留といいます。音源きかせていただきました!(中略) 是非○月○日の"メガロマニア"というイベントに お誘いできればと思いまして・・(後略)」

おお、これは嬉しいことだ。 ちゃんとしたイベントに誘ってもらえるなんて初めてのことだ。メンバーに転送して返事を待っている間に、数日後こんなメールが届いた。「はじめまして、有留といいます。音源きかせていただきました!(中略) 是非○月○日の"オルガズム"というイベントに お誘いできればと思いまして・・(後略)」

???

同じ有留さんからのメールなのにはじめましてとはこれ如何に。これってもしかしてなんか怪しい勧誘か??? 実はロクに音源も聴かないで手当たり次第にメール送ってるのか?しかし、紹介されているイベントのHPで活動内容などをみるとかなりしっかりしたイベントのようだ。主催者の志もとても高いようである。ちょっと怪しいな、と思いながらも、2回目に来たメールにおそるおそる返信してみる。

「えー、ビンビールズのナマハゲといいます。メールありがとうございました。ぜひ検討させていただきます。あと、ちょっと前にこんなメールも来たんですが。。。」
「あー、それは俺の弟です!弟はまた別のメガロマニアというイベントをやっておりまして!」

怪しいヒトじゃなかった!

どっちも週末のイベントだったのでこちらの都合もよく、何より楽曲をきちんと聴いた上で誘ってもらったことが嬉しかったので、調整してお受けすることにした。

そして2006年8月26日のLAN赤坂。そのころオルガズムがホームグラウンドとしていたライブハウスだ。「おはよーございまーす」とリハ入りした俺たちは、すでにその時点で普段のライブと違う空気を感じた。リハの時から主催バンドのCHAOSをはじめその日の出演バンドが放つ雰囲気はいい意味で緊張感があったし、なによりひと目見ただけで音楽にその身をどっぷり浸している人たちだとわかった。さっそく雰囲気に圧されて緊張しはじめる、30過ぎてもまだまだ素人気分のナマハゲだった。

その日のビンビールズのライブがどうだったのかは正直あんまり覚えていない。印象に残ったのは、いいイベントにしようとする主催者の努力とあたたかい空気。フロアの雰囲気がいつものライブとはまるで違う。セッティングの間に流す参加バンドの映像。各バンドの開始時に入るバンド紹介MC。新参者の俺たちの演奏なのに、ライブ中ずっと踊り狂ってくれる一風変わった服装をした女性。そして何より対バンのパフォーマンスの高さがいままで経験したことのないレベルだった。この日は主催バンドのCHAOSの出演もあり、いきなりオルガズムの真髄を見せ付けられた日だった。

そして終演後、主催の有留裕志さんから一言。「ビンビールズ、思った通り、いや思った以上の音の太さでした。 これからもどんどん出てください!」

そのとき初めて、ビンビールズが音楽的に評価されてきたと思った。そしてそれ以来ビンビールズは、オルガズムを中心にブッキングを組んでいくことになる。そしたらもう出るは出るは、対バンの猛者たちが。年齢だけは重鎮なバンド、ビンビールズなのだが、まわりはもっと若くてモチベーションが高くて、 なによりパフォーマンスが半端じゃないバンドばっかりだった。そんな中で俺たち大丈夫かな?と思いつつ、刺激も受けつつ、対バンとの親交も深まりつつ、いろいろとアドバイスなどももらいつつ、ビンビールズはこのイベントに出演していくことが成長の大きなきっかけとなったことは間違いない。出演を重ねるうちに対バンのみなさんからも「ビンビールズいいっすね!」と いろいろ声援をもらったりして、だんだんとバンド全体としても自信がついてくる俺たちだった。

しかしあるとき突然、ビンビールズ存続にかかわる大騒動が発生した。

もちろん「あの男」がきっかけだった。

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at 22:12, bimbeers, ビンビールズの歩み2003〜2008

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ビンビールズの歩み2003〜2008 第十一話 弱体化



そのころビンビールズはリハが終わったあとの打ち合わせに、小岩スタジオM2ndの向かいにあるハングル語の看板を掲げた "喫茶タボン"をよく使っていた。ゲーム機がいっぱいおいてあって客もいないのになぜか朝まで営業している喫茶店で、 むちゃくちゃ怪しいのだがお店のおばちゃんはいつも親切だった。まんぷくはいつもバナナジュースを頼んだ。俺はいつもこぶ茶を頼んだ。そんな喫茶店。

そして、次に録音するアルバムの名前はタボン(TABOM)にすることにした。

収録曲

 1.ほつれ
 2.BPS
 3.すきま
 4・満月の空
 5.ムジナ
 6.東京
 7.COSMOS
 8.グリッター
 9.サニーディ

このうち、BPS、満月の空、東京の3曲は、 このアルバムのタイミングで作った比較的新しい曲だった。前回の毛ガニギター録りで地獄を見た俺は、 レコーディングをスムーズに進めるためにバンドとしてあってはならない要望を毛ガニに伝えたのだ。

「この新曲3つ、レコーディングでは俺が全部ギター弾くから。」

そのころすっかり弱体化していた毛ガニは、そんなバンド崩壊にもつながりかねない俺の要望をすんなりと受け入れてくれた。しかしこのあたりから、いよいよ毛ガニの存在感が怪しくなってきたのだった。そしてこの要求を出した当の本人の俺も、胸の中にしこりを抱えながらその後の活動を続けることになった。その後のライブでのハイライト曲である「東京」がこの時生まれたのだが、実はタボンに収録されたバージョンには毛ガニギターはまるで入っていないのである。

アルバム「タボン」は、音質的にも前作と比較してまずまず納得のいくものになった。

そしてこの音源の完成を機に、audioleafで楽曲の公開をはじめた。たくさんの人にこの曲を聴いて欲しかった。そしてある日、audioleafの音源を聞いたある人物から届いた一通のメールが、その後のビンビールズの命運を握ることとなる。

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at 18:49, bimbeers, ビンビールズの歩み2003〜2008

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ビンビールズの歩み2003〜2008 第十話 毛ガニ誕生

(注)この記事は2008年に公開したもののリバイバルです。



そして4人での初めてのライブが終わった俺たちは、より高みを目指してリハを重ねた。ライブハウスでのブッキングも、土日限定ではあるもののなるべく早く準備をすることで、ちょっとずつ通常ブッキングでのライブもできるようになってきた。そしてサウンド的にもより高みを目指していくにつれ、ここから更にワタナベの試練が始まっていった。

とにかく出音が安定しない。リハに入るたびにモゴモゴこもってたり、トレブルが痛いほど耳に突き刺さったり、とにかくいっつも違うのだ。リハスタでもこんな状態なのに、ライブでいい音が出せるはずがない。ライブハウスではさらにアンプの個体差もあるし、 いい音が出るかは毎回ギャンブルみたいな状態である。そして、おそらく完全に独学でこれまで弾いてきたためか、 運指などのぎこちなさもまるで改善していかないのだ。弦も意味なくしょっちゅう切れる。

そんな中で俺はだんだんとギターの弾き方とか 真空管アンプの特性などを理解し始めて、エフェクターも最小限に絞り込むことによってかなりコンスタントに 出したい音を出すことができるようになってきた。そうなってくると俺の方もだんだんとイライラが募ってくる。なぜなら、

『自分で弾いた方が早いからだ』

ミもフタもないが事実である。そんなこともあって、そのころのワタナベのバンド内での存在感はどんどん下がり始め、ワタナベ本人もさらにイライラが募ってくる悪循環に陥っていた。リハの時はもうメンバーからは(特に俺とまんぷく)酷い言われようである。

「その音じゃまるでラジカセだ!お前のはラジカセギターだ!」
「その運指じゃ弾きにくいでしょ。なんでこれで弾けないの?」
「次までこのフレーズ2000回練習」

まんぷくは言った。

「もっとちゃんと弾けるようになるまで、君はずっと仮メンバーね」

冗談交じりに聞こえるがどうも本人はかなり本気だったようである。どっから入手した情報なのか、まんぷくは続ける。「サザンで毛ガニさんっているでしょ。あの人どういうわけか何年もやってるのに仮メンバーらしいんだよね。君も同じだ。」

「お前のニックネームは毛ガニだ!」

こうやって文章にするとまるで中学生のいじめのようでもあるが、でも、この頃メンバーはみんな、 本気でワタナベのギターがかっこよくなることを願っていたのだ。だからもう、歯に衣着せずに言いたいことを全部言うようにしていたのだ。そうして、ワタナベは以後 "毛ガニ"と呼ばれ親しまれることになる。

そしてそんな問題を抱えたまま、ビンビールズはライブを続ける傍ら次回作の録音に取り掛かる。9曲入り自主制作アルバム「タボン」。

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at 11:06, bimbeers, ビンビールズの歩み2003〜2008

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ビンビールズの歩み2003〜2008 第九話 社会人バンドの壁



4人になったので俺は本格的にギターを弾きながら歌うことに慣れていく必要があった。

ところがこれが一筋縄ではいかない。前にやっていたお遊びバンドではたまにギターを弾いたり
していたものの、 その流れでやっただけではまんぷくの力強いドラムに埋もれてしまって まったく音が前に出てこない。ほとんどずっとベース専門でやってきた当時の俺は、トランジスタアンプと真空管アンプの違いも実はわからなかった。ギタリストとしては先輩であるが、ワタナベ君に聞いても分かるはずもない。

アンプを変え、エフェクターを買え、また試行錯誤の日々がはじまった。
しかしそれでもなかなか音が前に出てこない。。。

そんな中でもさとしこをいれたアンサンブルはだんだんとかたちになりはじめ、 ギターの音には満足いかなくてもボーカルは凄く楽に歌えるようになってきた。そして4人編成になってはじめて、ライブ活動を本格的に再開することにした。

前回のライブはまんぷくの企画である。俺はブッキングなどまかせっきりで、特にバンドのそういった渉外業務にはかかわっていない。しかし今回からは普通にライブハウスをブッキングしてやっていかなければならない。

ライブハウスのブッキングをするってのもはじめての経験。社会人だから、土日限定の条件で。実績のない新人バンドで。そんな悪条件のもとにいろんなライブハウスに電話しては空いてないと断られ、 電話しては「土日はちょっと・・・」と断られの繰り返しをするのは正直ストレスだった。

そんな中、10件目くらいに連絡したとある小さなライブハウスが、 希望の時期に「社会人バンドナイト」をやるので是非、とのことで、 4人編成での最初のライブをそこでブッキングすることにした。2005年12月、3人で初ライブをやってからちょうど1年後のことである。

そしてライブ当日。1年ぶりのライブだし、結構な数のお客さんが来てくれた。演奏はかなりバタバタしていたと思うが、準備期間を十分とって入念にリハをした俺たちは、その時はそれなりのパフォーマンスを発揮したと思った。その日は自主制作シングルCD"灰色オレンジ"の発売もあり、なかなかに盛況であった。ありがたいことだ。

しかしその日のライブで最も俺にとって重要だった出来事は、対バンの演奏を見ていたときに新たな不安と決意が俺の心の中に湧き上がってきたことだ。

  "社会人バンド"って何なんだ?

正直言ってそのとき対バンしたほとんどのバンドは、 音楽に対する取り組み方にギャップを感じた。若かったり歳をとっていたりいろいろあるだろうが、演奏に熱意を感じない。確かにテクニックは凄い人もいるが(特にギターが多い)、弾いてる本人は気持ちよさそうにしているがバンドとしてのアンサンブルがまるで揃っていない。曲もかろうじてオリジナルではあるが、新しい試みはまるで感じられない。

我ながら偉そうな見方であるし、 そういった音楽の楽しみかたがあってもいいだろうことは理解している。でもそれじゃ俺はイヤなんだと思った。

その時心から思ったのは、もっと荒野に行きたいと言うことだった。もっと真剣に音楽に取り組んでいる人たちのいる場所で自分の力を試していきたいと言うことだった。

その日から俺は"社会人バンド"と言う言葉に拒否反応を示すようになった。

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at 22:30, bimbeers, ビンビールズの歩み2003〜2008

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ビンビールズの歩み2003〜2008 第八話 さとしこ



初ライブ以来、ビンビールズの音楽をもっと伝えるためには どうしたらいいのかずっと考えていた。そして熟慮の末、ひとつの結論に達した。ベースを弾きながらのボーカルはいろんな意味での制約があるし、 それを乗り越えるだけの技量をまだ俺は持っていない。 ギターもワタナベの1本だけでは心もとないし、もっと奥行きが欲しい。

  ベーシストを入れよう。そして俺はボーカルギターに転向する。

リハでメンバーにその意向を伝えた。その前に何度か俺がギターをもって 新曲のギターアンサンブルを少しやり始めていたこともあって、 とにかくツインギターとすることについては二人とも賛成だった。しかし年齢的にも活動的にも制約が多い俺たちに、 ぴったりなベーシストがはたして見つかるのだろうか?

そしてダメもとでインターネットのメンバー募集サイトに条件を入れて登録してみたのだ。

 *当方全員社会人、一部妻帯者もあり。
 *リハは週末に小岩周辺限定。
 *バンドに真剣に取り組める方。
 *年齢や家族構成などは不問。
 *音源(灰色オレンジ)を聴いて音楽性が合うと思った方
 *ベースを習得してから試しにあわせられる方。

確かこんな感じで募集したと思う。
そして数日後に応募があったのが、さとしこである。

どうやらメールの返信を見るとUKを中心にロックを相当聞き込んでいるらしい。好きなバンドを羅列してくれたのだが洋楽をあまり聴かない俺にはチンプンカンプンだ。今のビンビールズにはいないタイプだから新しい風を吹き込んでくれるかもしれない。過去にバンドをやっていたが結婚したことで一旦音楽から離れ、最近家庭が落ち着いたのでバンド活動を再開したいとのこと。環境も近いし住んでるところも近い。

うん、条件的にはいい感じだ。早速小岩のスタジオMに呼んであわせてみることにした。

はじめて会ったさとしこは、飄々としつつも少しおとなしい感じで、さらにちょっと得体の知れない印象があった。

灰色オレンジ。

ベースラインは完全に理解している。それまでの俺のゴリゴリしたピック弾きではなく、しなやかな指弾きである。しかもずいぶんと繊細な細い指でベースラインを奏でていく。

正直それまでの俺のベーススタイルとは違ったし、100%俺の好みにあう音ではなかった。しかし、まんぷくはかなりさとしこのベーススタイルを気に入ったようで、 気の早いこの男はまだ数回しかあわせていないところで

  「で、どうなのよさとしこ、やる?」 と即決体制に入っている。

さとしこ 「は、はい、えー、やります。。。」
まんぷくの雰囲気に圧されたのか、若干遠慮気味にその場で返答するさとしこ。
とりあえずその日は加入の方向で後日最終回答することになった。

他の二人を残し、さとしこを見送りにいった俺は帰り際に言った。

ナマハゲ 「なんかまんぷくが押し切っちゃったみたいだけど、もしも気が変わったらやっぱりやめますでもいいからね」
さとしこ 「はい。。。でも大丈夫です」
ナマハゲ 「ところで出身はどちらで?」

さとしこ 「秋田です」


こりゃ運命だと思った。

そして後日さとしこから正式な加入宣言があり、4人になったビンビールズはあらたな活動に向けて
体制が整ったのだ。

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at 22:26, bimbeers, ビンビールズの歩み2003〜2008

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ビンビールズの歩み2003〜2008 第七話 大手術



初ライブの後、ビンビールズは最初のレコーディングに入ることにした。まんぷくがすでに経験していたベルグリーズのレコーディイング手法を参考にし、 リズム録りはスタジオのレコーディングサービスを利用し、 その後はMTRを使って自分たちで作っていくことにしてみた。収録曲は以下の3曲。

 灰色オレンジ
 アメ玉
 GATE CRASHER

そこで俺が購入したのがZOOMの16ch HDレコーダである。

学生の時にバンドメンバーの持っていた カセットテープ4chMTRをすこしいじらせてもらったし、わりと機械操作には自信のある俺は まあまあすんなりとMTRの操作をすることができた。

一番の不安はワタナベのギター録りである。この頃にはだんだんと、ワタナベのギタープレイの問題点が浮き彫りになってきていた。

まず出音が安定しない。JC120とLine6の歪みを組み合わせていたのだが、どういうわけか毎回出てくる音が違う。そしてリズム感。すでにこの時ビンビールズの中では、ただ決まったリズムをやっとこさなぞっていくのではなく、どうやって演奏にグルーブを出すかと言う議論が進んでいた。しかしワタナベのギターに関してはどうすればその壁を乗り越えられるか、暗中模索の状態だったのだ。

そんな状態のままのレコーディングで ワタナベのギターテイクに満足がいかない俺は、ものすごい時間をかけて、何度も何度もワタナベのギターテイクを取り直した。

すでにこの時バンド内のミソっ子的存在になっていたワタナベに対して、 俺はそうとう渋い顔をしながらMTRを回していたと思う。 どんどん集中量がなくなってミスを連発するワタナベ。だんだんやさしい言葉をかける余裕もなくなって 無言でMTRを廻し続けるナマハゲ。

やればやるほど、ダメ出しすればするほどバッドスパイラルに入って行くと言う レコーディングのセオリーをその時はまだ俺も理解していなかった。

そんなこんなでヘトヘトになりながら作り上げたこの音源。 ワタナベのギターに関しては相当細切れにしてよいテイクを選び、 なんとか形にすることができた。これをまんぷくは「ナマハゲの大手術」と呼んだ。そして出来上がったはじめての音源は、 技術力不足に加え録音と処理の未熟さもあり、今聴いたら完全に素人のしょぼ〜い音源である。

特にGATE CRASHERなんか軽過ぎてもう「ケ〜ト・クラッチャ〜」って感じである(まんぷく談)。でもその時はとにかく音源ができたことにひとつの進歩を感じて嬉しかったものだ。

そして新たな試行錯誤の日々が続いていく。

続き
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at 22:23, bimbeers, ビンビールズの歩み2003〜2008

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